活動レポート
高橋多佳子アナリーゼワークショップ
希望ホール 大ホール
アーティストが一定期間市内に滞在し、地域との交流を図りながらアートの魅力を届ける事業『アーティスト・イン・レジデンス』の一環として、高橋多佳子アナリーゼワークショップを開催しました。
翌日1月15日に開催される「高橋多佳子ピアノ・リサイタル庄内公演in酒田」で演奏されるプログラムについて、高橋さんご本人が写真や楽譜を見せながら分かりやすく解説しました。
笑顔で登場した高橋さん。まずはショパンについてのお話です。
20歳の時に自身の実力を試すため、祖国であるポーランドからフランスへ旅立ったショパン。演奏しながら海外を巡りポーランドに戻る予定でしたが、周辺諸国のポーランドの支配に対する市民の不満から革命が勃発し、ショパンは二度とポーランドに戻ることは叶いませんでした。けれどもショパンはポーランドへの思いを強く持ち続け、それが作品の中にも強く表れています。
高橋さんは
「ショパンの音楽はとても美しいけれども、その美しさの奥にもっと深い、何か心の叫びのようなものが感じられる。それがこれほどまでに私たちの心を奪っている理由だと思います」
と話します。

『2つのノクターン作品15』について、高橋さんは『作品15-1』を弾くと、ポーランドの美しい田園風景が浮かぶのだそうです。そのような牧歌的な部分がありつつ突然の嵐のような激しい部分もあり、自然からインスピレーションを受けて作曲したのではないかと高橋さんは話します。『作品15-2』は打って変わってサロン風で洗練された雰囲気のある曲です。

続いては『4つのマズルカ』についてです。ポーランド国歌でも歌われるマズルカ。祖国に戻ることのできなかったショパンは、フランスでも常にポーランドを想いマズルカを書き続けました。
病弱だったショパンは幼い頃、療養のために訪れたマゾフシ地方で農民が歌い踊るマズルカと出会います。ショパンはそれを大変気に入り、農民の中に飛び入り参加して、バセドラというチェロのような楽器を演奏したそうです。それ以来ショパンの中でマズルカが重要な意味を持ちました。ショパンは生涯にわたってマズルカを書き続け、最後に書いた曲もマズルカでした。

続いてはシューマンのお話に移ります。
「シューマンと言えばなんといってもクララです」
と話す高橋さん。
文学でも優れた才能を持っていたシューマンは、文字を音に直してそれをテーマに音楽を作る手法をとりました。シューマンが愛してやまない妻のクララ(Clala 愛称Chiarina)の文字の中で、音に表せるもの(C“ド”、H“シ”、A“ラ”)を作品に用い、曲の中で何度も「クララ」と呼び掛けています。
高橋さんは『アラベスク』について、
「大変可愛らしい小品です。シューマンらしくピュアで素敵な曲だと思います」
と話しました。

次はブラームスについてです。『ピアノ・ソナタ3番』は20歳の時に書かれた曲です。交響曲と言っても良いほど音が分厚くて和音が多く、曲のほとんどが始めに登場するモチーフで作られているという特徴があります。
第2楽章はシュテルナウの「若き恋」という詩が添えられたロマンティックな曲。
「この楽章を弾きたくてこの曲を弾いていると言ってもいいくらい、私はこの楽章が好きです」
と高橋さんは高揚したように話しました。
重々しいワルツによる第3楽章、第2楽章のフレーズが暗い形で現れる第4楽章。そして第5楽章では大事な主題が登場します。ブラームスは、クララの誕生日に「高き山、深き谷からあなたに誕生日のお祝いを千回伝えます」という言葉を添えてこのメロディを贈りました。

最後にブラームスとクララについてです。ブラームスとシューマンの出会いから僅か1年足らずでシューマンはライン川に身を投げてしまいます。一人になってしまったクララをブラームスは支え続け、ブラームスのクララに対する気持ちも募っていきました。ブラームスの曲の中にもシューマンと同じように「ド、シ、ラ」を用いてクララへの想いを表した曲が多く見られます。
「ブラームスが本当にクララを思って書いたことが伝わります。シューマン、クララ、ブラームスは、特別な関係のあった3人と言えると思います」
と話してアナリーゼワークショップを締め括りました。