酒田市民会館 希望ホール KIBOU HALL

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活動レポート

梅津碧 アナリーゼワークショップ

希望ホール 小ホール

2022年11月18日(金)

希望ホールで行われるコンサートのプログラムについて、アーティスト自らその魅力や聴きどころについてお話する「アナリーゼワークショップ」。今回は、声楽家の梅津碧さんによる、令和5年1月28日(土)の「梅津碧 ソプラノ・リサイタル」で披露されるプログラムについてお話いただきました。

アーティストが酒田市に一定期間滞在し、市内すべての小学校でのクラスコンサートや地域の文化施設でのミニコンサート、ワークショップ、そして希望ホールで一流の舞台芸術を鑑賞する公演などを開催する事業『芸術家・地域ふれあい事業』の一環として、「梅津碧 アナリーゼワークショップ」を、希望ホールの小ホールを会場として、開催しました。

2023年1月28日(土)に開催される「梅津碧 ソプラノ・リサイタル」で歌う作品の魅力や作曲の背景、さらには作曲家自身について、梅津さんご本人から分かりやすくお話していただきました。

梅津さんは最初に、「オペラとは何か」について話し始めます。俳優が台詞で物語を進めていく「演劇」。オペラとは演劇の一つであり、オペラ歌手が、台詞の代わりに歌で物語を紡いでいくものであると、梅津さんは話します。それから、リサイタルで歌う曲について解説に入りました。

まずは、J.オッフェンバックについてです。梅津さんは、オッフェンバックの生い立ちから話し始めました。

オッフェンバックはドイツのユダヤ系の家系に生まれました。彼の父親はドイツ人から差別的な視線を感じていたこともあり、ユダヤ人の市民権が確立しており人種的偏見が薄い、パリの音楽院に息子を進学させます。オッフェンバック はそこでチェロを学んでいましたが、一年で退学。それから作曲を始めます。最初は小さな劇場を借りて、A.アダン( 梅津さんはリサイタルにて、アダンの作品「きらきら星(あのね、お母さん)」を歌う予定)の作品や自作の作品を演奏していました。当時フランスでは劇場によって上演してもいい作品の規模が決まっており、ライセンスを取らないと、大規模なものは上演できませんでした。オッフェンバックはその時、登場人物は3人まで、合唱無し、かつ1幕のものだけを認められていましたが、この劇場の上演は高評価を得て、彼自身も有名になったため、人数制限なしで大規模な作品の上演が認められます。

「そこで作曲されたのがこの作品です」

梅津さんが話し終えると、齋藤友佳さんが「『天国と地獄』序曲」を弾き始めます。軽やかなリズムと馴染みのあるメロディに、参加者の中には頷いている方も見られました。

この作品はオペラから派生したオペレッタという分野における、はじめての大規模な作品であり、この作品でオッフェンバックはそのオペレッタを確立したと言われています。オペラとオペレッタの明確な違いを述べることは難しいものの、例えば、踊りの要素がオペラより入ってくることや、セリフの部分が歌われずに話して演じられることがオペレッタの特徴だそうです。加えて、オペラは悲劇的な内容が多いのに比べて、オペレッタは総じて軽妙なものが多いそうです。高尚な貴族の楽しみだったオペラを、庶民も気軽に楽しめるような、娯楽性が高い形式にしたものであると、梅津さんは説明します。

梅津さんは次に、J.シュトラウスⅡ世について紹介。 齋藤さんが J.シュトラウスⅡ世の代表作「喜歌劇『こうもり』序曲」の一部を演奏しました。

日本の年末に、ベートーヴェン作曲の第九が各地で演奏されるように、この作品は、梅津さんが留学していたウィーンにおいて、年末年始によく演奏されるそうです。オペレッタの作曲家の中でも特に著名な J.シュトラウスⅡ世ですが、実は J.シュトラウスⅡ世にオペレッタを作曲することを勧めたのがオッフェンバックなのだそうです。

梅津さんは続いて、リサイタルでも歌う予定の、 「歌劇『ホフマン物語』」について話し始めました。オペレッタ作曲家として有名なオッフェンバックが作曲したオペラ作品です。

梅津さんは作品について軽く紹介したあと、中でも特に有名な「ホフマンの舟歌」という曲を披露しました。参加者を美しいオペラの世界へと誘います。

「ホフマン物語」の曲として有名な曲ですが、この曲はもともと、「歌劇『ラインの妖精』」という作品のために作曲され、後に「ホフマン物語」に転用されたそうです。

「ラインの妖精」から「ホフマン物語」に転用された曲は他にも存在するそうです。しかしながら、世界的にみると、「ホフマン物語」の方が「ラインの妖精」よりも圧倒的に多く上演されているそうです。なんと、「ラインの妖精」を上演したのは、梅津さんが世界で6番目とのこと。「この上演回数の差はどうして生まれたのか?」ということを、梅津さんがウィーンに留学した際に論文にまとめており、その解説をしてくれました。

まずは、物語についての比較です。分析において前提としておくべき伝説が「ラインの妖精」にあると、梅津さんは語ります。それは、「歌いすぎると亡くなってしまい、亡くなったものは妖精になること」と「人間が妖精と話をすると、人間は亡くなってしまうこと」です。

「ラインの妖精」では、主人公であるアルムガートという女の子がライン川のほとりで母親と幸せに暮らしていました。そこに戦争がやってきて彼女は歌うことを強要され、歌いすぎてしまい、伝説の通り亡くなってしまいます。

「ホフマン物語」では、主人公のホフマンという男性が、ぜんまいじかけの人形であるオランピア(リサイタルでも梅津さんが演じる予定)、歌手になりたい病弱のアントニア、ヴェネツィアの娼婦であるジュリエッタと次々に恋に落ちますが、いずれも破綻してしまいます。中でもホフマンが2番目に恋に落ちるアントニアという女の子は、体が弱っているものの、無理をして歌い続けてしまい、亡くなってしまいます。

「歌い続けることで亡くなってしまう」ところが共通点に思えるものの、 「ラインの妖精」のアルムガートは伝説により亡くなっていますが、「ホフマン物語」のアントニアは持病の影響で亡くなっています。世界的に有名なバレエ作品である、A.アダン作曲の「ジゼル」の主人公は、踊りすぎて亡くなってしまいますが、これも持病の影響です。

そのため、伝説によって亡くなってしまうという「ラインの妖精」の設定が、観客にとって受け入れがたかったのではないかと、梅津さんは分析します。

次は、実際に「妖精の合唱(「ラインの妖精」より)」と「ホフマンの舟歌(「ホフマン物語」より)」を流して、聴き比べを行いました。 メロディーは似ているものの違った印象を受けるのは、描かれている背景の違いにあると、梅津さんは話します。「ラインの妖精」では、幻想的・ミステリアスに、一方「ホフマン物語」では、官能的に音楽が働いています。

「妖精の合唱」では、娘であるアルムガートを母親が夜の水辺に探し求め、その周りでは妖精たちが幸せそうに踊りに誘っている、という場面が描かれており、双方対極の感情を歌っています。

「ホフマンの舟歌」では、ホフマンが3番目に恋をした娼婦のジュリエッタとホフマンの友人のニクラウスが、夜に官能的な愛を歌っている、という場面です。こちらは、双方同じ感情を歌っています。

また、二つの作品で多用されている「減七和音」という個性的な和音が、シンボリックな役割を果たしているといいます。

「この和音は、『ラインの妖精』では、いつも妖精たちが歌う場面で用いられています。妖精たちと話すと亡くなってしまう、という作品中の伝説があるため、この和音は魔法や超自然的なものを表すものとして考えることができます。対して『ホフマン物語』の方では、官能の高まりや官能的な過去の記憶、物語の舞台であるヴェネツィアの夜の風景を表す役割を、この和音が果たしているのではないかと考えます」

と梅津さんは分析します。

さらに梅津さんは、「ホフマン物語」の方には「アーメン終止」という、賛美歌によく用いられる終止形が用いられていることを挙げ、「ホフマン物語」の官能的な音楽と情景に反して、このような終わり方になっているところが、非常に興味深いところだと解説します。

次は、歴史的な背景についての分析です。梅津さんは「ラインの妖精」が作曲されることになった経緯について話し始めました。

ある時、ウィーンの宮廷歌劇場からオッフェンバックに、大規模なロマンティックオペラを書いてほしいというオファーが来ます。
パリでは観客にも劇場にもオッフェンバックの軽妙な作風のオペレッタが愛されていたため、違ったスタイルの作品を作りたくても、今まではそのチャンスはありませんでした。しかし、ウィーンでならばそれができるのではないかと考えたオッフェンバックは、その依頼を快諾します。

しかし、オペラの作曲に慣れていなかったせいか、リハーサル時に上演時間が長すぎることが判明し、仕方がなくカットすることになります。

さらには、主人公のアルムガートの相手役を務める歌手が病気になってしまい、オペラ全編を覚えて長時間舞台にたつことが不可能になったため、さらに泣く泣くカットし、ハイライトのようにして上演することになりました。それでも初演は好評で、続演も10回続いたと言われているそうです。

梅津さんが「ラインの妖精」について調べていくと、「初演は失敗に終わった」というような記事をたくさん見つけたそうです。当時のプレスの初演の講評では、多くの他の上演作品と同じように良いものも悪いものもあるのに、なぜ「初演が失敗に終わった」という記事をたくさん見かけるのか。これについて調べていくと、ある作曲家が浮かび上がってきたそうです。

梅津さんはW.R.ワーグナーの写真を取り出します。続いて、齋藤さんがワーグナーの代表的な作品「楽劇『ワルキューレ』」の一部を演奏します。

実は、もともとこのウィーン宮廷歌劇場での仕事はワーグナーの作品を上演するはずだったところ、それが難しくなったために、オッフェンバックにオファーがいくことになります。そのため、ワーグナー、そして熱狂的なワグネリアン(ワーグナーの音楽に心酔している人々)から反感を買ってしまい、ワーグナーを支持するプレスが「ラインの妖精」の成功を認めず、あたかも初演が大失敗だったかのようなネガティブキャンペーンを行ったそうです。

「ラインの妖精」は初演の翌年に、フランス語に翻訳されたものが上演される予定だったそうです。しかし、そのあとに作曲した「美しきヘレナ」という作品が大変好評だったためにそちらを先に再演することになり、「ラインの妖精」を再び演奏する機会は失われてしまったままになってしまったようです。

梅津さんは、

「世の中には、『ラインの妖精』のように埋もれてしまっている素晴らしい作品がたくさんありますが、どうしてもメジャーな作品が繰り返し上演されるようになっているのが、とても残念です。マイナーな作品にもふれてもらい、良さを知ってもらえたらと思いますので、ぜひ1月のリサイタルで『ラインの妖精』を聴いてみてください」

と話して、アナリーゼワークショップを締め括ります。

アンケートでは、

「楽曲や作曲背景についての詳しく説明が、とても興味深かったです」「馴染みの少ない作品が色んな視点から分析されており、おもしろかったです」「小学校の娘が学校のクラスコンサートの話をうれしそうに話してくれました。1月のリサイタルは一家で伺います」

という声が寄せられました。

2023年1月28日に開催するリサイタルが、より楽しみになるアナリーゼワークショップだったのではないでしょうか。

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